平井雅也さん。平井さんが社長を務めるセイエンタプライ
ズ社は創業者である現会長によっていまから30年以上前
の1978年に創業された。当時、今日の地震防災の原点と
なる“東海地震説”が発表(1976年)されてはいたものの、
災害に備えて食糧備蓄を考える人はまずいなかった時代。
まさにわが国の危機管理の先駆者だった。「備蓄食で命が
保証されるわけではありませんが、災害時に食事の心配を
しなくて済むように、皆様に百年の計の安心をお届けしたい
と思っています」と語る平井社長
「25年備蓄のサバイバルフーズ」をご存知ですか? 世界最大規模のフリーズドライ食品メーカーである米国のオレゴンフリーズドライ社が開発・製造する超長期保存が可能なおいしい備蓄食です。
そのサバイバルフーズの国内総販売元である株式会社セイエンタプライズ(東京都千代田区)代表取締役・平井雅也さんに、米国スタイル備蓄食について興味深いお話をご寄稿いただきました。日本と米国――防災・危機管理において発想の違いが刺激的で、かつ学ぶところは少なくありません……(編集部)
(以下、文=平井雅也さん)
■大震災の一被災者として得たもの
――日常の延長としての非日常
災害時の非常食は、非日常時に食べる食事ですから「非日常食」とも言えます。
非日常とは、日常の延長線上にあるもので、(災害が発生した)ある時ある瞬間から突然始まることになります。ですから、非日常と日常を区別することは本来ナンセンスですし、非常食=備蓄食もまた、いつも食べているような日常食でなければいけないのです。
このような考えに至るまでには、私が1995年〜1997年にかけ経験したできごとが大きく関わっています。
一つは、6434人の尊い命が失われた1995年1月17日5時47分の阪神・淡路大震災です。当時私は、震源の真上となる、神戸市東灘区岡本に住んでいました。
あのとき、皆が何を思い、感じ、行動したのか、特に毎日の食料や罹災生活をしていく上で、どのような行動をとってきたのか、一被災者として実体験しながら、客観的に観察することもできました。
震災から得たものは「大きな困難に直面したとき、人は互いに助け合うものなのだ」という感慨でした。後日になって災害心理学の書籍「災害と千年王国」から、この時の状況は「災害後のユートピア」という現象であったことを知りました。災害といった圧倒的な恐怖を味わった仲間同士が、恐怖が過ぎ去った直後の安堵感から、えも言われぬ安らぎを共有し、互いに他人にやさしく接する心の状態になる(ただし、その状態は2〜3日、あるいは1〜2週間も過ぎれば、通常の生活が始まるにつれて回帰し、やがてやさしさは失われる)という状況です。
防災の基本に、自助・共助(互助)・公助という言葉があります。実際に阪神の地震からしばらくの生活で、私は「共助」によってどれだけ救われたことでしょうか。
共助とは、助け合いの精神です。阪神の震災は、ボランティアという共助(互助)の精神の具現化において「ボランティア元年」と言われる大きな時流の節目となりました。阪神・淡路大震災の後に発生した災害では、発生直後にボランティアを受け入れるためのボランティアセンターや問合せの窓口が開設されることが半ばスタンダード化(標準化)してきましたが、この時の経験が活かされているのでしょう。
■理想的な食糧援助とは
――被災者の心理面にも配慮した米国の支援戦略
さて、ボランティアによる様々な援助のうち、食糧――とりわけ災害時の食糧――の提供は重要なウエイトを占めています。どのような食糧支援が望ましいのか議論もあるでしょうが、食べ物という視点で結論を言えば、当然、普段食べられる食事(普段から食べるに遜色のない食事)を災害時にも摂れることがいいわけです。
つまり理想的な食糧援助(食糧支援)とは、被災者がまるで普段の食事のようだと感じることができる食糧をボランティアが提供できることです。私がアメリカ合衆国のボランティア団体を訪問した時、このような考え方がすでに実践され、しかも一歩も二歩も先んじていることが分かり感心しました。
米国のボランティア団体は、被災者の心理面にも配慮した食事メニューの提供をしていました。簡単ですがご紹介しましょう。
1996年から1997年にかけ、私は米国を訪れていました。
ハワイでは当時フードバンクと呼ばれる組織(現在日本にも存在:セカンドハーベストと改名)の巨大な冷蔵倉庫を見学し、大量生産の加工食品の2次利用についての可能性を見ることができました。フードバンクでは、食品製造会社から余剰品やB級品(わけあり品)を無料もしくは安価に仕入れ、食糧を必要としている貧困者世帯や施設などへ提供していました。
会社や団体から食糧をフードバンクが仕入れ、その食糧は、積極的なボランティア団体「レッドクロス」や「サルベーションアーミー」を通じ、ホームレスの人たちなどに援助されます。レッドクロスやサルベーションアーミーは、この普段から行うオペレーション(食糧配給)の経験から災害時の食糧援助についてもノウハウを持っていました。
フロリダのレッドクロス事務所に行ったとき、レッドクロスの食糧援助(仕入れ)担当者は、私を倉庫から戸外の車庫へと案内してくれました。米国では彼らのようなボランティア団体は災害援助のための特殊車両を保有しています。緑の芝の上に駐車している災害援助車の前で、彼は私にとっておきの秘密を話してくれました。
彼は車の後ろの部分を指差しながら「ここをご覧」と言いました。そこには、蛇口のようなものがありました。
「すべての災害援助車にはコーヒーメーカーが附属しているんだよ」
彼が続けます──「災害援助で大切な事、まずパニックを起こさせずに事態を収拾するため女性や子どもたちをリラックスさせなければいけない」そう言って彼がすっとコーヒーを差し出します。
「それには、コーヒーと飴を提供することさ!」
この考え方に、私は衝撃を受けました。
日本の非常食・食糧援助の場面では「災害時は我慢!食べられるだけありがたい」といった精神論が先行し、美味しいものを求めることは贅沢と考えられていました(私たちも、そこに風穴を開けるために努力してきたつもりです)。
それなのに彼らの考え方は、嗜好品(珈琲や甘味)の提供が最優先なのです。
「食事」という文字は「食べる事」と書きます。栄養の摂取ではなく、食べる事を楽しむ行為が含まれた言葉だと思います。食事には、飲み物、主食、副食、そしてデザートまでが含まれていて当然と言うわけです。
■国がやるべきことはほかにある
――生活の場は自助と共助で守る
MRE(Meal Ready to Eat)と呼ばれる米国軍隊向けの
野戦食メニューは、4種類の菜食主義者用のメニュー
を含む24種類のメニューがあるという。写真はメニュー
No.22の「ジャンバラヤ」 Photo courtesy: Wikimedia
余談となりますが、米国の非常食事情を考える上で、戦闘糧食(レーション)というのがあります。MRE(Meal Ready to Eat)と呼ばれる米国軍隊向けの野戦食のパッケージの中には「M&Mチョコレート」や「フルーツバー」、「珈琲」、「タバコ」までも入っています。日本的な感覚では、到底、これが非常食とは思えないでしょうが、MREも立派な非常食なのです。
安心をさせるという点で、余談をもう一点。
防災士研修センターによる防災士研修を受けた際に受講した青山先生(明治大学教授、元東京都副知事)の講義でのお話です。三宅島噴火で全島避難をした当時、被災者に食事を配布する点での一工夫を伺いました。それは、だだっ広い体育館(避難所)のど真ん中に支援物資を運び込み、量を見せることによって安心をさせ、パニックを未然に防ぐという方法でした。
方法は米国と大分違いますが、目指すところには共通点がありそうです。
さて、米国政府の食糧備蓄事情をお知りになりたかったとしたら期待に添えなくて残念ですが、私の知る限り(現在では多少の変化があるものの)私が訪問当時の防災に関して、食糧を支援するのは政府ではありませんでした。それはボランティア(共助)の仕事だからです。
自分の身は自分で守るべき(自助)であり、そして生活の場(コミュニティ)はお互いに守るもの(共助)であるということが、米国での防災を考える中心的な思想であり、政府(公助)には災害後の復興のための税制優遇措置、迅速な軍隊の派遣等、ほかにすべき役割が山ほどあります。
こうした風土の中で、ボランティアの食糧援助等の考え方はより洗練されていき、嗜好品まで含めた本当の食事の提供を志向するようになったと私は考えています。
私たち(セイエンタプライズ:東京都千代田区)が輸入するフリーズドライ食品は、米国ブランドでマウンテンハウスと言います。米国アウトドアのマーケットでは70%のシェアを持つメガブランドですが、先般のハリケーン・カトリーナの際には、24時間体制で工場を稼動してニューオリンズの街を支援するボランティア団体に食糧を供給し続けました。
日本でも米国でも、災害時でも日常時でも、人の欲する食事に差はありません。ともすれば、精神論的に贅沢と思われがちなデザートまでを備蓄できる、しておく――非常食を考えるときに重要な指針となると思います。
*編集部注(リンク):セイエンタプライズ・ホームページ
〈2010.1.26.〉